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勇気


元中日ブランコ氏、天井崩落事故で死去直前にオリ時代の元同僚助ける行動 海外報道
…DeNAやオリックスでもプレー プロ野球の中日などで活躍したトニ・ブランコ氏が母国ドミニカ共和国でナイトクラブの天井崩落に巻き込まれ、43歳で亡くな…
(出典:)


トニ・ブランコのサムネイル
ブランコ、第二姓(母方の姓)はカブレラです。 トニ・エンリケ・ブランコ・カブレラ(Tony Enrique Blanco Cabrera, 1980年11月10日 - 2025年4月8日)は、ドミニカ共和国サンフアン州サン・フアン・デ・ラ・マグアナ出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。息子のトニ・ブランコ・ジュニアもプロ野球選手。…
36キロバイト (4,150 語) - 2025年4月9日 (水) 04:26
天井が落ちた瞬間、ブランコはまるでリアルヒーロー。ヘルマンを救ったその一撃は、ホームラン以上に感動的!勇気の殿堂入り確定!

1 THE FURYφ ★ :2025/04/09(水) 11:30:51.81 ID:qNpmdSlH9
プロ野球の中日などで活躍したトニ・ブランコ氏が母国ドミニカ共和国でナイトクラブの天井崩落に巻き込まれ、43歳で亡くなった。
米メディアなどが報じた。ドミニカ共和国の記者によると、天井の下敷きになる直前に、元オリックスの同僚を助ける行動を取っていたという。

現地8日、ドミニカ共和国のサントドミンゴにあるナイトクラブ、ジェットセットの天井が崩落。ブランコ氏、メジャー13球団を渡り歩いた
オクタビオ・ドーテル氏らが巻き込まれ、その後死亡が確認されたという。

米スポーツメディア「ジ・アスレチック」は「元MLB投手のオクタビオ・ドーテルがドミニカ共和国のナイトクラブの天井崩落で死去」と題して報道。
記事の中で、ドミニカ共和国スポーツ省の情報として、ブランコ氏も亡くなったことを伝えた。

現場には12年から西武、オリックスで計4年プレーしたエステバン・ヘルマン氏もいたという。ブランコ氏とは15年にオリックスで同僚だった。
海外メディア「Z101」のドミニカ人MLB記者ヘクター・ゴメス氏が自身のXでヘルマン氏の証言を伝えている。投稿によると、ヘルマン氏が
トイレから戻り、席につこうとしたところ、「天井の一部が自分の上に落ちてくることに気づいた瞬間、トニ・ブランコが彼を突き飛ばした」という。

MLB公式サイトによるとブランコ氏は1981年生まれの43歳(NPB公式では1980年生まれ)。2005年にナショナルズでメジャーデビュー。
09年からは中日でプレーした。日本球界1年目から39本塁打、110打点でセ・リーグ2冠王に輝くなど、驚異的なパワーで相手に恐れられた。

中日で4シーズンプレーしたあと、13年からDeNAに移籍。NPBではいずれもキャリアハイの打率.333、41本塁打、136打点をマーク。
首位打者と打点王の2冠を獲得した。15年からはオリックスでもプレーした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6fc524a3b15a624ef1db753d51a8d0ef4481c38e

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83歳の名優、地方移住も…妻が認知症に 孤独な今に密着「困り果てた“ただの老人”です」
…NHKで20日放送『妻亡きあとに ―近藤正臣 郡上八幡ひとり暮らし―』 NHKは4日、俳優の近藤正臣(83)の現在に密着した『妻亡きあとに ―近藤正…
(出典:)


近藤 正臣(こんどう まさおみ、1942年〈昭和17年〉2月15日 - )は、日本の俳優。シーズ・マネージメント所属。身長172cm(1972年3月)。 京都市東山区(現在の山科区域)に生まれる。母親は元祇園の芸妓であった。父方の叔父に人間国宝で染付けの大家・近藤悠三(1902年 -…
46キロバイト (5,152 語) - 2025年2月5日 (水) 03:16
近藤正臣さんのインタビューで、年齢とともに増える課題をどう乗り越えるか、その人間味あふれる言葉に感動!「人生、焦らずマイペースでいこうぜ」と勇気をもらいました。これからも彼らしく、笑顔で歩んでほしい。

1 湛然 ★ :2025/03/05(水) 06:18:38.19 ID:s6wvc3/h9
83歳の名優、地方移住も…妻が認知症に 孤独な今に密着「困り果てた“ただの老人”です」
3/4(火) 14:18 ENCOUNT
https://news.yahoo.co.jp/articles/67ed739c7f063cc90b3ab1e2229c08910168fabf
近藤正臣【写真:(C)NHK】








NHKで20日放送『妻亡きあとに ―近藤正臣 郡上八幡ひとり暮らし―』

 NHKは4日、俳優の近藤正臣(83)の現在に密着した『妻亡きあとに ―近藤正臣 郡上八幡ひとり暮らし―』を20日午前8時よりNHK BSにて放送することを発表した。

 青春ドラマ『柔道一直線』でブレイクし、大河ドラマ『龍馬伝』・連続テレビ小説『カーネーション』など数多くの作品で活躍した昭和・平成の名俳優・近藤。40代で訪れた岐阜・郡上八幡の自然に魅せられ、8年前に妻と移住。釣りをしながら穏やかな晩年を過ごす……はずだった。その後、妻が認知症を発症。里山でひとり、ワンオペ介護に追われるなか、自身も腰の手術を受けるなど、過酷な日々を送る。そして一昨年、56年間連れ添った最愛の妻を亡くし、ひとり暮らしに。

 伴侶を失った高齢者は、その後の人生をどう生きるのか――。番組では、83歳の近藤が向き合う「老い」と「孤独」に長期間密着。深い喪失感を抱えながらも、郡上八幡の自然や地域の人ととともに、自分らしい生き方を模索し始める一人の老齢男性の日々を見つめた。

 以下、担当ディレクター・小久保美葉子氏によるメッセージ。

――番組立ち上げのきっかけは。

「近藤さんは釣りが大好きで、40年間通い続けた岐阜県郡上八幡を終の住処と決め、数年前に妻と二人で移住したのは知っていました。釣りをしながら山や川での生活を楽しみ、穏やかな晩年を過ごしているはず――人生の終盤に自然の中で暮らすことを選んだ、そんな生活をカメラに収めたいとご連絡すると、お返事の声は思ってもみないものでした。『ヒロさんが亡くなってしまった』『妻がいないのが不思議、今は困り果てた“ただの老人”です』と、力無い声……。実はその1か月前に、長年連れ添った妻の裕子さん(ヒロさん)が亡くなっていたのでした。近藤さんは食欲も無くなり、体重は6キロ落ちたといいます。『俳優もやめた。もう取材なんて無理。それでもいいなら……遊びに来るなら……来て』。とりあえず、私たちはカメラを持たずに、郡上八幡で近藤さんに会うことになりました。パートナーを亡くした83歳の一人の男性が、“その後”をどう暮らし、どう生きていくのか――その姿を見つめることで、いま、高齢でひとり暮らしをしている方々への様々なヒントがもらえるのではないか。そして、自分もそうなった時に、何を覚悟しておかなければならないのかも教えてもらえるのではないか……近藤さんとお会いしてから1年後、取材が少しずつ始まりました」

――近藤さんと長期間接してきて、感じたことは。

「小学生時代から70年以上一緒に過ごしてきた奥さん(結婚生活は56年)との死別は、どれほどの悲しみ、絶望感なのだろうか……とても私達がはかり知ることはできませんが、それでも近藤さんは真摯にこちらの質問に答えてくださいました。そして、定期的に接していくうちに、近藤さんが少しずつ前を向き始めていることが感じられました。絶望していても、その状態を否定せず、できる範囲で一つひとつ丁寧に暮らす。そうすると、気持ちも徐々に現実を受け入れてくるようになるのではないか……そんなことを、近藤さんの日常を見つめながら感じました」

――番組に、どんな思いを込めましたか。

「『大切な存在』や『人生の目的』を失っても、人は生きていく覚悟をしなければならない時があります。そんなとき、周りを見ると、自然とか、動物とか、自分の元に寄り添ってくれるものはあって、流れのままに生きていく生き方もあるような気がします。そして、近藤さんは今ようやく、そんなふうに生き始めていると感じました。おひとりで暮らしているご高齢の方、ご高齢の親と離れて暮らしている子ども(=中年世代)の方々、いま介護をしている方々、近い将来に近藤さんのような暮らしがやってきそうな50代~60代の方々……。あまり光の当たらない、でも直視すべきテーマを、近藤さんの日常を通して知り、考えていただければと思います。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

【認知症の妻を支えた近藤正臣、その心情と地方移住の選択】の続きを読む


青学大・皆渡星七さんが21歳で死去 1月悪性リンパ腫公表/陸上
…今年1月の箱根駅伝で8度目の総合優勝を飾った青学大陸上競技部は21日、公式サイトで皆渡星七さん(3年)が亡くなったことを発表した。皆渡さんは先月、自…
(出典:)


青山学院大学陸上競技部(あおやまがくいんだいがくりくじょうきょうぎぶ)は、青山学院大学の陸上競技チームである。青山学院大学体育連合会並びに関東学生陸上競技連盟に所属する。1918年創部。活動拠点は主に神奈川県相模原市に構えている。 長距離ブロック・男子のは、1943年の靖国神社・箱根神社間往復関東…
37キロバイト (4,269 語) - 2025年2月21日 (金) 16:54

(出典 hochi.news)


皆渡星七さんの訃報にビックリ!若くして逝くなんて…彼の才能は未知数で、陸上界に大きな衝撃を与えたはず。闘病中も走り続ける姿はカッコ良すぎ!彼の走りは、きっと天国でも光ってるはず!

1 征夷大将軍 ★ :2025/02/21(金) 17:16:53.75 ID:4EKApJk/9
サンスポ
2025/02/21 15:55
https://www.sanspo.com/article/20250221-LSXXS35A5JFB7LCYL6J5P4AOEE/

今年1月の箱根駅伝で8度目の総合優勝を飾った青学大陸上競技部は21日、公式サイトで皆渡星七さん(3年)が亡くなったことを発表した。皆渡さんは先月、自身のSNSで昨年の11月に悪性リンパ腫と診断され、闘病中であることを明かしていた。21歳だった。皆渡さんは大学三大駅伝の出走こそなかったが、2024年の第100回箱根駅伝ではメンバー入り。今季は昨年6月の日体大記録会で5000メートルの自己ベスト(13分51秒38)を出し、11月の全日本大学駅伝では16人のチームエントリーに入っていた。以下がホームページに掲載された青学大陸上部の発表全文。

「この度、昨年度の箱根駅伝や今年度の全日本大学駅伝のエントリーメンバーとして共に戦ってきた皆渡星七が永眠致しました。彼は私達にとって欠かせない存在であり、その活躍と情熱に心からの感謝と敬意を表します。

突然の別れに、深い悲しみと喪失感を抱いておりますが、彼が残してくれた思い出を胸に、これからも前進してまいります。

最後まで病魔と戦った彼の旅立ちを、温かく見守っていただけますようお願い申し上げます。

改めて、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

青山学院大学陸上競技部 チーム一同」

【陸上界の若き才能、皆渡星七さん死去 - 21歳の短い生涯と悪性リンパ腫との闘い】の続きを読む

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