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インタビュー


宮迫博之、闇営業パーティーについて言及「いまだに俺が犯罪犯したみたいに思ってる人もいる」
 元雨上がり決死隊の宮迫博之(54)が7日放送のTOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」(月~木曜深夜1時)に、お笑いタレント三又又三(5…
(出典:)


宮迫博之のサムネイル
宮迫 博之(みやさこ ひろゆき、1970年〈昭和45年〉3月31日 - )は、日本のYouTuber、実業家、お笑いタレント、歌手、俳優、司会者、声優。 本名同じ。大阪府茨木市出身。お笑いコンビ雨上がり決死隊の元メンバー。2019年の吉本興業との契約解消以降はYouTubeを主な拠点として活動している。…
58キロバイト (7,183 語) - 2025年2月27日 (木) 03:30
宮迫博之が闇営業騒動を改めて語り、「俺、犯罪者ちゃうねん!」と嘆くインタビューが話題に。当時の心境も赤裸々に!

1 ネギうどん ★ :2025/03/07(金) 12:10:52.34 ID:bbme2s4r9
元雨上がり決死隊の宮迫博之(54)が7日放送のTOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」(月~木曜深夜1時)に、お笑いタレント三又又三(57)とともに出演。19年6月に発覚した闇営業問題について言及した。

「いまだに俺が犯罪*たみたいに思ってる人もおるからさ。別に犯罪でもなんでもない」と切り出した上で「パーティーに行って。(呼んだ人が宮迫のことを)ファンやからって。結婚パーティーか。お子ちゃまも走りまわってた、一流ホテルの大広間で歌を歌ってくれと歌って。俺歌って、すぐ帰ってるから。この後、忘年会あるからすみませんって言って抜けて」と当時の状況を説明し始めた。

続けて「数年後、捕まって。その人が。反社やった。7年後やで、家の前で突撃されて。(記者から)『反社のパーティー、行かれました?』って(聞かれて)。『は?何すか』。写真見たら、機嫌よう歌ってるの俺ですねと」と語った。

三又からは「俺、不思議なんすよ。宮迫っていつ地上波許されるの?って。何かをきっかけに解禁になるんでしょうね。それが第1歩ですよ『SPEAKEASY』(スピークイージー)が」と投げかけられると、宮迫は「どうなんやろな。他(のラジオ)も出てんねんけど。それはうれしいわ」と語った。

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202503070000043.html

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83歳の名優、地方移住も…妻が認知症に 孤独な今に密着「困り果てた“ただの老人”です」
…NHKで20日放送『妻亡きあとに ―近藤正臣 郡上八幡ひとり暮らし―』 NHKは4日、俳優の近藤正臣(83)の現在に密着した『妻亡きあとに ―近藤正…
(出典:)


近藤 正臣(こんどう まさおみ、1942年〈昭和17年〉2月15日 - )は、日本の俳優。シーズ・マネージメント所属。身長172cm(1972年3月)。 京都市東山区(現在の山科区域)に生まれる。母親は元祇園の芸妓であった。父方の叔父に人間国宝で染付けの大家・近藤悠三(1902年 -…
46キロバイト (5,152 語) - 2025年2月5日 (水) 03:16
近藤正臣さんのインタビューで、年齢とともに増える課題をどう乗り越えるか、その人間味あふれる言葉に感動!「人生、焦らずマイペースでいこうぜ」と勇気をもらいました。これからも彼らしく、笑顔で歩んでほしい。

1 湛然 ★ :2025/03/05(水) 06:18:38.19 ID:s6wvc3/h9
83歳の名優、地方移住も…妻が認知症に 孤独な今に密着「困り果てた“ただの老人”です」
3/4(火) 14:18 ENCOUNT
https://news.yahoo.co.jp/articles/67ed739c7f063cc90b3ab1e2229c08910168fabf
近藤正臣【写真:(C)NHK】








NHKで20日放送『妻亡きあとに ―近藤正臣 郡上八幡ひとり暮らし―』

 NHKは4日、俳優の近藤正臣(83)の現在に密着した『妻亡きあとに ―近藤正臣 郡上八幡ひとり暮らし―』を20日午前8時よりNHK BSにて放送することを発表した。

 青春ドラマ『柔道一直線』でブレイクし、大河ドラマ『龍馬伝』・連続テレビ小説『カーネーション』など数多くの作品で活躍した昭和・平成の名俳優・近藤。40代で訪れた岐阜・郡上八幡の自然に魅せられ、8年前に妻と移住。釣りをしながら穏やかな晩年を過ごす……はずだった。その後、妻が認知症を発症。里山でひとり、ワンオペ介護に追われるなか、自身も腰の手術を受けるなど、過酷な日々を送る。そして一昨年、56年間連れ添った最愛の妻を亡くし、ひとり暮らしに。

 伴侶を失った高齢者は、その後の人生をどう生きるのか――。番組では、83歳の近藤が向き合う「老い」と「孤独」に長期間密着。深い喪失感を抱えながらも、郡上八幡の自然や地域の人ととともに、自分らしい生き方を模索し始める一人の老齢男性の日々を見つめた。

 以下、担当ディレクター・小久保美葉子氏によるメッセージ。

――番組立ち上げのきっかけは。

「近藤さんは釣りが大好きで、40年間通い続けた岐阜県郡上八幡を終の住処と決め、数年前に妻と二人で移住したのは知っていました。釣りをしながら山や川での生活を楽しみ、穏やかな晩年を過ごしているはず――人生の終盤に自然の中で暮らすことを選んだ、そんな生活をカメラに収めたいとご連絡すると、お返事の声は思ってもみないものでした。『ヒロさんが亡くなってしまった』『妻がいないのが不思議、今は困り果てた“ただの老人”です』と、力無い声……。実はその1か月前に、長年連れ添った妻の裕子さん(ヒロさん)が亡くなっていたのでした。近藤さんは食欲も無くなり、体重は6キロ落ちたといいます。『俳優もやめた。もう取材なんて無理。それでもいいなら……遊びに来るなら……来て』。とりあえず、私たちはカメラを持たずに、郡上八幡で近藤さんに会うことになりました。パートナーを亡くした83歳の一人の男性が、“その後”をどう暮らし、どう生きていくのか――その姿を見つめることで、いま、高齢でひとり暮らしをしている方々への様々なヒントがもらえるのではないか。そして、自分もそうなった時に、何を覚悟しておかなければならないのかも教えてもらえるのではないか……近藤さんとお会いしてから1年後、取材が少しずつ始まりました」

――近藤さんと長期間接してきて、感じたことは。

「小学生時代から70年以上一緒に過ごしてきた奥さん(結婚生活は56年)との死別は、どれほどの悲しみ、絶望感なのだろうか……とても私達がはかり知ることはできませんが、それでも近藤さんは真摯にこちらの質問に答えてくださいました。そして、定期的に接していくうちに、近藤さんが少しずつ前を向き始めていることが感じられました。絶望していても、その状態を否定せず、できる範囲で一つひとつ丁寧に暮らす。そうすると、気持ちも徐々に現実を受け入れてくるようになるのではないか……そんなことを、近藤さんの日常を見つめながら感じました」

――番組に、どんな思いを込めましたか。

「『大切な存在』や『人生の目的』を失っても、人は生きていく覚悟をしなければならない時があります。そんなとき、周りを見ると、自然とか、動物とか、自分の元に寄り添ってくれるものはあって、流れのままに生きていく生き方もあるような気がします。そして、近藤さんは今ようやく、そんなふうに生き始めていると感じました。おひとりで暮らしているご高齢の方、ご高齢の親と離れて暮らしている子ども(=中年世代)の方々、いま介護をしている方々、近い将来に近藤さんのような暮らしがやってきそうな50代~60代の方々……。あまり光の当たらない、でも直視すべきテーマを、近藤さんの日常を通して知り、考えていただければと思います。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

【認知症の妻を支えた近藤正臣、その心情と地方移住の選択】の続きを読む


【渡邊渚さん独占インタビュー】あの雨の日、私の心は殺されました…アナウンサー時代の働き方、PTSDの闘病生活、誹謗中傷への思い…「嘘偽りなく、自分の経験をお伝えします」
…生命の危機すら感じる出来事でしたあの雨の日、私の心は殺されました。 元フジテレビアナウンサーの渡邊渚さん(27歳)は、“あの時”のことをそう振り返る…
(出典:)


渡邊 (わたなべ なぎさ、1997年〈平成9年〉4月13日 - )は、日本のタレント、元フジテレビアナウンサー。現在はフリー。 新潟県阿賀野市出身で、小学2年生まで同市で過ごす。両親と妹がいる。家の周りは田んぼに囲まれ、庭にキジが来たり、クマが出たりするなど豊かな自然の中で育つ。学校帰りは友人と田…
44キロバイト (5,676 語) - 2025年2月6日 (木) 04:07
雨の日のエピソードがここまで心を揺さぶるとは…!まさに人生のドラマ。彼女の勇気ある告白が、誰かの傘となりますように。

1 ネギうどん ★ :2025/02/07(金) 11:50:11.93 ID:Ykqf/xp49
生命の危機すら感じる出来事でした

あの雨の日、私の心は*れました。

元フジテレビアナウンサーの渡邊渚さん(27歳)は、“あの時”のことをそう振り返る。

'23年6月、仕事の延長線上で起きた出来事によって、渡邊さんは「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)を発症。休職を余儀なくされ、'24年8月にフジテレビを退職した。

今年1月29日には、アナウンサー時代や療養生活中の思いなどを綴ったフォトエッセイ『透明を満たす』を上梓し、大きな反響を呼んでいる。

彼女はいま、何を思うのか――。独占インタビューに応じた。

なぜいま、書籍を出そうと思ったのか。それは、私自身の体験を記すことで、同じような苦しみを抱える人の助けになりたいと考えていたところに、ちょうどオファーをいただいたからです。再出発した昨年10月から執筆に取り掛かり、本を出版できたのが1月29日でした。

'23年6月のあの夜、恐怖で身体が動かなくなり、「助けて」が届かない絶望を知りました。身体と心が乖離し、何が起きているのかもよくわからなかった。生命の危機すら感じる出来事でした。

入院中もフラッシュバックが頻発した

以来、生活は一変。身体に力が入らず、浮遊しているように視界も揺れる。自分が自分じゃなくなっていく感覚でした。

食事も摂れなくなり、体重は9kg減って生理も止まりました。'23年7月に栄養失調で入院しましたが、入院中もフラッシュバックが頻発し、体調はどんどん悪化していった。

当時は、「早く仕事に復帰しなきゃ」という焦りもありました。病室でテレビをつけると、私の担当していた番組に別のアナウンサーが出ている。SNSを開くと、学生時代の友人が人生を謳歌している様子が溢れている。私だけが社会から取り残されているという不安で苦しみました。

元気になったとしても、戻る場所はない。やがて、誰からも忘れられる……。自分が透明人間になったような気持ちでした。

正直に告白しますが、入院して2週間が過ぎたころに、「すべてを終わらせたい」と思い、自分の身体を傷つけて死を求めてしまったこともあります。トラウマになった日と、自傷行為をした日、私は「2度*だ」と思っています。

2月7日発売の「週刊現代」2025年2月15日号では、「トラウマと向き合った過酷なPTSDの闘病生活」や「女子アナ時代の働き方」、「殺到している誹謗中傷への思い」など、さらに詳しく渡邊さんのインタビューを掲載している。

https://gendai.media/articles/-/146451

【『私は2度死んだ』渡邊渚さんが語る自傷行為の真実】の続きを読む

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